第36回 労働契約の締結にあたり注意すべき事項

Q:上海市所在の独資企業X社は、中国国内企業との取引を拡大するために新たに設立された会社です。現在、事業開始にあたっての現地従業員の雇用を検討しております。
日本では、一定の労働条件は書面で提示する必要があるものの、必ずしも書面で労働契約を締結する必要はありませんが、中国では書面の労働契約を締結する必要がありますか?また、労働契約で規定しなければならない事項はありますでしょうか?
X社は、従業員との間で、退職後の競業避止義務を設定したいと考えておりますが、可能ですか?

A:X社は、従業員と書面の労働契約を締結する必要があります。
労働契約には、労働契約の期間、職務内容及び勤務地等の必要的記載事項が存在します。
X社は、従業員と退職後の競業避止義務を設定することが可能ですが、その場合は、労働契約(又は秘密保持契約)においてその内容を約定する必要があります。

解説

1 労働契約の締結に関する法令の規定

(1)書面での労働契約締結義務

日本では一定の労働条件(契約期間、就業場所、賃金等)については書面で提示する必要がある(労働基準法第15条、同法施行規則第5条)とされており、また日本の労働契約法第4条では、労働契約の内容についてできる限り書面により確認するものとするとされていますが、書面の労働契約を締結する必要はありません。

これに対して、中国では、労働関係を確立する場合には、書面で労働契約を締結しなければならないと規定されています(労働契約法(以下「本法」といいます)第10条、本法実施条例第5条)。

仮に書面での労働契約を締結しない場合、以下のように処理されることになります(本法第14条第3項、第82条、本法実施条例第6条、第7条)。

【使用者が労働者との間で書面の労働契約を締結しない場合の取扱い】

雇用開始日から1か月以内

実際の労働時間に応じた賃金を支払えばよい

雇用開始日から1か月超かつ1年未満

満1か月が経過した日の翌日から書面の労働契約締結まで、毎月2倍の賃金を支払う

雇用開始日から1年経過

満1か月が経過した日の翌日から満1年の経過日の前日まで、毎月2倍の賃金を支払う

また、満1年の経過をもって期間の定めのない労働契約を締結したものとみなされる

 なお、使用者が書面での労働契約締結を求めているにもかかわらず、労働者がこれを拒む場合、使用者は、書面で通知することによって、労働者による労働契約締結拒否を理由に労働関係を終了させることができます。もっとも、当該対処についても、雇用開始日から既に満1年を経過している場合には行うことができませんので、注意が必要です(本法実施条例第5条、第6条、第7条)。

(2)必要的記載事項

本法第17条は、労働契約には次の事項を記載しなければならないと規定しています。使用者が提供した労働契約書に下記の必要的記載事項が記載されていない場合、労働行政部門が是正を命じ、また労働者に損害を与えたときには使用者は賠償責任を負わなければなりません(本法第81条)。

 

【労働契約の必要的記載事項】

①   使用者の名称、所在地及び法定代表者又は主要な責任者

②   労働者の氏名、住所及び住民身分証明書又はその他有効な身分証明書の番号

③   労働契約の期間

④   職務内容及び勤務地

⑤   労働時間及び休憩・休日・休暇

⑥   労働報酬

⑦   社会保険

⑧   労働保護、労働条件及び職業危害の防護

⑨   法律、法規が労働契約に含めるべきと規定するその他の事項

 

 上記記載事項のうち、特に気を付けるべきと考えられるのは、③労働契約の期間④職務内容及び勤務地です。

 まず、③労働契約の期間については、短期間としておいた方が無難であると考えられがちですが、中国では、期間の定めのある労働契約を2度締結し、かつ労働者に労働者の責に帰すべき労働契約解除事由(本法第39条及び本法第40条第1号、第2号)がなく、労働契約を更新する場合、期間の定めのない労働契約を締結しなければならないとされています(本法第14条第2項第3号)。
 このため、必ずしも短期間とすることが良いわけではありません。

 次に、④職務内容及び勤務地については、将来の調整可能性と労働者の保護のバランスの観点からの留意が必要です。すなわち、労働契約は、一度締結されれば、労働者との書面での合意がなければ変更ができません(本法第35条)。このため、使用者側としては、職務内容及び勤務地について、できるかぎり、抽象的ないしは広範な内容(例えば、職務内容について「会社が要求する職務」等とする、勤務地について「中国国内」、「華東地域」等とするなど)を記載したいところです。

 もっとも、職務内容や勤務地があまりにも抽象的、広範に記載され、労働者が全く予想していない状況が生じてしまうと、労働者の権利保護のための本法第17条の趣旨に反する可能性があり、場合によっては労働者の権利を排除したとしてその記載内容が無効となる(労働契約法第26条第1項第2号)可能性もあると考えます。

このため、無用に抽象的ないしは広範な記載は避け、例えば、職務内容であれば、複数の職務に従事させる可能性がある場合は、労働者の同意を得た上でそれらの具体的な職務内容を列記するなどの方法によるべきであると考えます。

(3)競業避止義務

競業避止義務については、本法第23条第2項及び第24条が規定しており、使用者は、労働契約又は秘密保持契約において労働者と競業避止条項を約定することが可能です。

 また、競業避止義務に関する内容をまとめると以下のとおりとなります。

【本法が規定する競業避止義務の内容】

①   使用者は労働者との間で労働契約の解除又は終了後の競業避止を約定できる

②   ①の場合、使用者は競業避止期間内において、毎月、経済補償を与えなければならない

③   労働者が競業避止の約定に違反した場合は約定に従い使用者に対して違約金を支払わな

ければならない

④   競業避止の対象者は、使用者の高級管理職、高級技術者及び秘密保持義務を負うその他

の者に限定される

⑤   競業避止の範囲、地域、期間は、使用者と労働者との間で約定する

⑥   競業避止期間は2年を超えてはならない

 上記のうち、②の「経済補償」の支払額について、競業避止は約定したものの、経済補償の支給を約定していない場合、又はその支払い基準が不明確である場合、最高人民法院が公布した「労働紛争事件の審理における法律適用上の若干の問題に関する解釈(4))」第6条では、使用者は、労働契約解除又は終了前12か月の平均賃金の30%の基準で経済補償の支払いを行う必要がある旨が規定されており、また、上海市高級人民法院が公布した「『労働契約法』の適用に関する若干の問題についての意見」第13条によれば、双方は補償金額の基準について協議を行うことができ、協議の結果、合意に至らないときは、使用者は、従前の通常勤務時の賃金の20~50%の基準で経済補償の支払いを行う必要がある旨が規定されている点にも留意が必要です。

2 本件
 上記1(1)のとおり、中国では、使用者は労働者との間で書面の労働契約を締結する必要がありますので、X社は、従業員との間で書面の労働契約を締結しなければなりません。
 上記1(2)のとおり、労働契約には、労働契約の期間、職務内容及び勤務地等の必要的記載事項が存在します。
X社は、従業員と退職後の競業避止義務を設定することが可能ですが、その場合は、労働契約(又は秘密保持契約)においてその内容を約定する必要があります。


*本記事は、一般的な情報を提供するものであり、専門的な法的助言を提供するものではありません。また、実際の法律の適用およびその影響については、特定の事実関係によって大きく異なる可能性があります。具体的な法律問題についての法的助言をご希望される方は当事務所にご相談ください。

*本記事は、Mizuho China Weekly News(第830号)に寄稿した記事です。