第62回 台湾の戒厳令について

皆さん、こんにちは。黒田日本外国法事務弁護士事務所の外国法事務律師の佐田友です。

先週の本コラムの冒頭に、私が正月休み中に台南に旅行したことを少し書きました。1泊2日という限られた時間でしたが速攻で台南ファンになってしまいました。台北でも食べられるのかもしれませんが、サバヒーのお粥や今まで食べたことのない食感のとうもろこし、牛肉スープに美味しいフルーツなどB級グルメファンの私には「口福」な時間が過ごせる場所でしたね〜。

サバヒーは痛みやすい魚だと聞きますし、フルーツも南の方が豊かでしょうから、やはり本場の近くがいいですよね。それから、レンブー(中文では「蓮霧」)を購入した果物屋さんで、パパイヤも買おうとしたら、「今は旬ではないからやめたほうがいいよ」とアドバイスされました。普通、客が買いたいといえば喜んで売るであろうに、その果物屋さんの対応には感激しました。次回はぜひ、マンゴーの季節に、その果物屋さんを訪ねたいと思います。

日本による統治が終了した後の台湾の歴史について学ぶ際に、よく聞く言葉として戒厳令という言葉があります。そこで、本日は、台湾の戒厳令について取り上げてみますね〜。

台湾の「戒厳」について定めた法規として「戒厳法」があります(ちなみに、この「戒厳法」は1934年に公布され、1949年に修正があって以降、一切、修正がされていない、古くから存在する法規です)。同法規によれば、戦争又は反乱が発生した際に、全国又は地域を限定して「戒厳」が総統より宣告され、「対象地域の地方行政官や司法官は同地域の軍隊の最高司令官の指揮を受けるものとする」とされています。

他にも、「戒厳」下では、集会の停止や言論活動の取締などが最高司令官の権限となり、憲法で認められる国民の人権が容易に制限される事態が作出されます。

上述しましたように、そもそも「戦争又は反乱が発生した際」という限定的な場合に、非常状況に対応するために「戒厳」状況を作り出すということが法的に予定されているはずなのですが、台湾では1949年から40年弱という期間、ずっとこの「戒厳」状況下にあったということをご存知でしょうか。結構前といえば結構前の話ですが、最近といえば最近の話だと思います。

現在の台湾の状況からすれば、全く想像できないですよね〜。非常状況が日常になるというのはどのようなものか想像が難しいです。もちろん、日常は日常でおいしいものを食べ、酒を飲みという生活は続いていたのでしょうが、政治的な発言を自由にできない緊張状態にはあったのでしょう。

縁あって台湾にいるわけで、このような台湾の歴史についても折に触れて学び、当時の台湾人の気持ちを想像してみるということは有意義であると思います。

憲法で認められている人権が制限された時代が、それこそ父母の世代にあること、そして、中国との関係を含め、台湾の将来的なあり方に敏感にならざるを得ないこと、現状に不満を抱えていることなどから多くの台湾の若者が政治を身近に感じ、行動に移し、投票に行くのかもしれませんね。

私も不勉強で台湾の歴史についてまだまだ知らないことばかりですが、機会を見つけて学んでいきたいですね〜。


*本記事は、台湾ビジネス法務実務に関する一般的な情報を提供するものであり、専門的な法的助言を提供するものではありません。また、実際の法律の適用およびその影響については、特定の事実関係によって大きく異なる可能性があります。台湾ビジネス法務実務に関する具体的な法律問題についての法的助言をご希望される方は当事務所にご相談下さい。

執筆者紹介

弁護士 佐田友 浩樹 (黒田日本外国法事務律師事務所 外国法事務律師)

京都大学法学部を卒業後、大手家電メーカーで8年間の勤務の後、08年に司法試験に合格。10年に黒田法律事務所に入所後、中国広東省広州市にて3年間以上、日系企業向けに日・中・英の3カ国語でリーガルサービスを提供。13年8月より台湾常駐、台湾で唯一中国語のできる弁護士資格(日本)保有者。趣味は月2回のゴルフ(ハンデ25)と台湾B級グルメの食べ歩き。