台湾の智慧財産法院の設立について

2004年から、台湾の司法院 において、知的財産権に係わる訴訟案件を専門に取り扱う裁判所を設立する動きが出てきた。このような動きは、知的財産権に係わる訴訟案件が各裁判所に散在し、各裁判所間で見解の相違が生じやすいほか、裁判官の異動のため知的財産権に係わる案件を審理する経験の蓄積が困難であるという状況を考慮した結果生まれたものである。

こうした動きを受けて、台湾の国会で知的財産権に係わる訴訟案件を審理する裁判官・技術審査官の資格等を規定する「智慧財産法院組織法」(知的財産裁判所組織法)、及び知的財産権に係わる訴訟案件の審理手続を規定する「智慧財産案件審理法」(知的財産案件審理法)が可決されたことにより、台湾において、知的財産権に係わる訴訟案件を専門に審理する智慧財産法院(知的財産裁判所)が台北県板橋市に設立され、2008年7月1日より正式に始動した。

智慧財産法院は、裁判官及び技術に関する情報を収集・分析し、専門的意見を提供する技術審査官により構成される。智慧財産法院の裁判官の任用資格については、「智慧財産法院組織法」により規定されている。同法によれば、司法院により選定される裁判官と検察官のほか、知的財産権に係わる案件の処理に関して本法が規定する一定の経験と専門的な知識を有する弁護士、公務員、大学教授、中央研究院 の研究員であって、司法院が行う試験に合格した者も、智慧財産法院の裁判官の資格を得ることが可能である。

また、技術審査官については、智慧財産法院組織法が規定する一定の経験又は学歴を有する経済部智慧財産局 の特許審査官又は商標審査官、同法が規定する一定の経験を持ち、知的財産権に関する著作がある大学教授などが、任用資格を得ることが可能である。

さらに、智慧財産法院の管轄範囲は、知的財産権に係わる民事訴訟案件の1審と2審、刑事訴訟案件の2審、及び行政訴訟案件の1審とされ、「智慧財産法院組織法」の第3条により、下記のとおり具体的に規定されている:

一、民事訴訟案件:専利法(日本の特許法、実用新案法及び意匠法に相当する法律)、商標法、著作権法、光?管理条例(光ディスク管理条例)、営業秘密法、積体電路電路布局保護法(集積回路の回路配置保護法)、植物品種及種苗法(植物品種及び種苗法)、及び公平交易法(日本の独占禁止法に相当する法律)により保護される知的財産権侵害に関する案件の1審と2審は、智慧財産法院の管轄とする(3審は最高裁判所の管轄とする)。

二、刑事訴訟案件:(1)台湾刑法第253条、第255条、第317条、第318条の案件、すなわち商標・商号の偽造に関する罪、偽造した商標を使用する商品の販売・陳列・輸入に関する罪、商品の原産国と品質についての虚偽表記に関する罪、及び営業秘密の漏洩に関する罪の案件(2)公平交易法上の会社の名称・商標・商品の外観の偽造に関する罪(公平交易法第20条第1項、第35条第1項)、不正手段による事業の秘密の取得に関する罪の案件(公平交易法第19条5号、第36条)、及び(3)商標法、著作権法上の刑罰規定に係わる案件の2審は智慧財産法院の管轄とする(1審は各地方裁判所の管轄とし、3審は最高裁判所の管轄とする)。

三、行政訴訟案件:専利法、商標法、著作権法、光?管理条例、積体電路電路布局保護法、植物品種及種苗法、及び公平交易法における知的財産権に係わる行政訴訟案件の1審は、智慧財産法院の管轄とする(2審は台湾の最高行政裁判所の管轄とする )。

四、その他の案件は、法律の規定、又は台湾の司法院の指定により智慧財産法院の管轄とする。

次に、知的財産権に係わる訴訟案件の審理手続を規定する「智慧財産案件審理法」の重要な点は、以下のとおりである:

(1)訴訟の当事者又は第三者の営業秘密を保護するため、当事者によって提出された攻撃又は防御方法が、当事者あるいは第三者の営業秘密に係わる場合、当事者の申立により、智慧財産法院が適当とみなせば、裁判を公開しないことができる。また、当事者と相手方の双方が裁判を公開しないことに合意した場合も同様とする。訴訟資料が営業秘密に係わる場合、智慧財産法院は申立又は職権により、訴訟資料の閲覧、抄録、撮影を禁止・制限することができる(第9条)。

(2)証拠保全のため、知的財産権に係わる民事訴訟案件及び行政訴訟案件において、文書又は検証物の保有者が、正当な理由なく智慧財産法院の命令に従わず文書又は検証物を提出しない場合、智慧財産法院は裁定により3万台湾ドル以下の過料を科すことができる。なお、必要な場合には裁定により強制処分を命じ、強制的に文書又は検証物の保有者に、その文書又は検証物を提出させることができる(第10条)。

(3)訴訟の当事者又は第三者の営業秘密を保護するため、智慧財産法院は知的財産権に係わる訴訟案件を審理する際、訴訟関連文書又は裁判所が調査すべき証拠が、当事者又は当事者以外の第三者の営業秘密に関連する場合、当事者又は第三者の申立により、相手方、訴訟代理人、補佐人に対し、秘密保持命令を下すことができる。智慧財産法院から秘密保持命令を受けた者は、当該営業秘密を当該訴訟の実施以外の目的で使用し、又は当該秘密保持命令を受けた者以外の者に開示してはならない(第11条)。なお、智慧財産法院の秘密保持命令に違反した者は、3年以下の有期懲役、拘留、又は10万台湾ドル以下の罰金に処せられる(第35条)。

(4)知的財産権の侵害に係わる民事訴訟案件において、当事者が知的財産権に取消し又は無効原因があると主張・抗弁する場合、智慧財産法院は訴訟を停止させることができず、自ら当事者の主張・抗弁が正しいかどうかを判断しなければならない。なお、智慧財産法院が知的財産権に取消し又は無効原因があると認定する場合、当該民事訴訟案件において、知的財産権の保有者である当事者は、その権利を相手方に対し主張することができない(第16条 )。

(5)台湾の知的財産権の責任機関である経済部智慧財産局の専門的な意見を参考にするため、智慧財産法院は知的財産権の侵害に係わる民事訴訟案件を審理する際、必要がある場合、経済部智慧財産局の訴訟参加を命ずることができる(第17条)。

また、知的財産権に係わる民事訴訟案件、刑事訴訟案件又は行政訴訟案件において、「智慧財産案件審理法」に規定されていない事項については、台湾の「民事訴訟法」「刑事訴訟法」又は「行政訴訟法」が適用される。

知的財産権に係わる訴訟案件を専門に審理する智慧財産法院の設立により、審理の効率の向上、判決の正確性の確保、裁判官の訴訟案件の経験の蓄積などが期待される。

しかし、2007年に台湾の裁判所で審理された知的財産権に係わる案件が約3,000件であったという事実から考えると、今後、智慧財産法院の裁判官は多数の知的財産権に係わる訴訟案件を審理していかなければならないと予想される。智慧財産法院の裁判官(現在は智慧財産法院院長を含めて9名)及び技術審査官は、厳格な試験や論文審査を経て選定されているが、大きな負担が強いられると予想される中、ドイツの連邦特許裁判所や日本の知的財産高等裁判所ほどの効率性を確保することができるのか、という疑念の声が出ている。こういった状況から、将来、台湾の智慧財産法院における、裁判官と技術審査官の増員についての議論が起こることは必至である。

また、「智慧財産案件審理法」における秘密保持命令は、日本法に倣った制度であるが、台湾においては、秘密保持期間についての基準は必ずしも明確ではないので、秘密保持命令が訴訟の当事者又は第三者により乱用されるのではないかという懸念の声が台湾の法曹から出ている。そのため、今後、智慧財産法院にとって、いかに秘密保持命令を取り扱うかは重要な課題となる。また、秘密保持命令に関する裁判官の審理の経験や判例の蓄積がより必要になってくると考えられる。


*本記事は、台湾ビジネス法務実務に関する一般的な情報を提供するものであり、専門的な法的助言を提供するものではありません。また、実際の法律の適用およびその影響については、特定の事実関係によって大きく異なる可能性があります。台湾ビジネス法務実務に関する具体的な法律問題についての法的助言をご希望される方は、当事務所にご相談ください。

【執筆担当弁護士】

弁護士 黒田健二 弁護士 尾上由紀 台湾弁護士 蘇逸修